08年度「舞台芸術」履修生は、男子五人です!
お試し(?)期間が終わり、二回目の講義に出かけたら、学生さんが前回より二人増えて
五人、履修してくれることになりました。
君たちは、エライ!!
放射線技師を目指す 群馬県立県民健康科学大学一年生の五人です。
この日も、ストレッチ、脱力、呼吸法、発声、身体遊び と続きます。
人間は、ふだん、あまり自分の身体の動きを意識しないで動いています。
そうすると、だんだん、「身体のクセ」がついてきます。
人間は、本来「まっすぐ立つ」とか「まっすぐ歩く」とか「大きな声を出す」とか「豊かな表情をつくる」ということが、自然とできるはずなのですが
「クセ」がつくことで、本来出せる「魅力」が、日常的には、出せない状態になっています。
そこで、ストレッチや脱力を意識的にすることで、一度、身体をまっさらにします。
「身体のクセ」は、ある面では、自分自身が「殻の中に閉じこもっている状態」とも言えます。
もっと言うと、自分の心や感情、気持ちを守るために、内側に向かって閉じている状態とも言えます。
ひごろのストレスから、自分の身を守るために、防御している。
ところが、手っ取り早そうなこの「防御態勢」をとることで、実は、自然な自分の身体の動きや、ひいては心の動きにまで縛りをかけていることになります。
そうです。
「ストレッチ」や「脱力」は、身体を扱う作業ですが
実は、身体を開放するすることで、「心を解放する」作業をしているんです。
大切なのは、「気持ちいいこと」。
首を回す、腕を伸ばす、背骨を伸ばす。
もちろん、ストレッチの中には、ちょっとつっぱって、しんどい動きもありますが、その場合は、無理をしないようにしてもらいます。でも、痛気持ちいいところで、何回も刺激を加えていくと、徐々に痛みも減るし、延びる距離もどんどん大きくなります。
これも、「小さな成功体験の積み重ね」に当たります。
最近の若い人は
(と言ってしまうと、まるで私がすんげえおばんみたいですが・笑)
身体を使う遊びや、身体を使う動作が、とても減っています。
身体にゆるやかな刺激を与えることで、「自分の身体が変わっていく」体験が、とても少ない。
身体が変わることで、自分の気持ちの持ちようや、発想力や、人間力が変わっていく、という成功体験が、とても少ない。
なので、演劇の講義を受ける人の多くが、「自分の身体は、こんなに変わるのか」と驚き、生まれ持った自然な動きを取り戻してくると、具体的になにということではないんだけど、「自信がよみがえってくる」ようです。
私自身も、もともとは、単に「演劇する」ための準備運動として、ストレッチや脱力をしてきましたし、指導もしてきたんですが、最近、とみに感じるのは、この身体を変化させることで、自信がつくという効果です。
これが、発声法になってくると、より顕著になります。
「自分の身体は、こんなにいっぱい息が吸えるんだ」
「私の身体は、こんなに大きな声が出るんだ」
大きな声 というより 私は 「充実した声」と表現するようにしていますが。
ストレッチと脱力を身につけることで、自分の心を解放してあげる。
それはもっと言うと、「私は、ここにいてもいいんだ」と思えるということです。
そんなの当たり前じゃないか、とおっしゃるかもしれませんが、ご自分の毎日の生活を思い起こしてみて下さい。
情報化やシステム化が進んだ社会の中にいると、「私はここにいてもいい」とか「私がここにいることをみんなが認めている」って確認できる機会、少なくないですか?
それは、情報化やシステム化というのが、「誰がとって代わっても、誰にでもできる」仕組みを担保しているからです。
誰にでもできるよう、「効率化」をはかっているからです。
おそらく、そういうことを身体は無意識にでも感じるから、心を防御するために「身体のクセ」で自分を守っている。
「身体のクセ」で、「私はここにいてもいい」と確認しようとする感性を封じ込めてしまっている。
そういう状態のまま、舞台に立てますか?
そんな状態のまま、舞台に立って、なにができますか?
そんな状態で、舞台に立つことは、自分の身体にとっても、観客にとっても、不毛なことです。
私は、こういった一般の方向けのワークショップの時には、「上手に演技すること」を教えたりはしません。
(教える能力も無いかもしれませんし)
まずは、ピュアになること。
まっすぐに立つ。
まっすぐに歩く。
自分はここにいてもいい と、心が安心する。
舞台にあがるよりもなによりも、ふつうの生活の中で「自分はここにいてもいい」と思える時間を作ること。
その延長線上で、「自分は、舞台に立っていてもいい」「自分はお客さんの前に立っていてもいい」「私は自分の素直な心の動きを他人に表現してもいい」という心持ちになることが大切だと思っています。
そういう状態の役者が、舞台の上で
「ねえ」と声をかけられて
「なんだい?」と振り向く。
誰だって、「ねえ」って声かけられたら「なあに」って振り向くじゃないですか。
私は、そこに「演劇的な世界」があると思っています。
演劇は、別に高度な演技力や、人と違った特殊な感性を必要とするばかりではありません。
(もちろん、そういう演劇も、いっぱいありますが)
「ねえ」
「なんだい?」
二言の会話の中にも、大きなエネルギーの流れがあります。それを役者と、観客が共有できる瞬間、それが、演劇です。
たったこの二つのせりふでも、十分演劇の世界は作れます。
そのためには、まず「自分はここにいてもいい」と思えること。そのために、ストレッチと脱力で、自分の身体をリラックスさせること、本来のゆるやかな身体に戻してあげること。
私は、いつもそこから、演劇をはじめるようにしています。
↓↓↓ こちらは身体遊びのひとつです。
最初は三人ひと組でやりますが、徐々に人数を増やしたりします。見えない「うしろ」に倒れる瞬間って「こわい!」「ちゃんと支えてくれなかったらどうしよう」「いや、でもきっと支えてくれるに違いない」「あ、支えてくれた」「よかった!」っていう気持ちの動きと向き合う連続です。
もちろん、これは、遊びながら「信頼関係」を作ったり、確かめ合う作業となります。
↓↓↓ 講義の最後には、必ず「今日気づいたこと」について、リポートを書いてもらいます。
もちろん、リポートそのものも重要ですが、「今日の三時間で、自分の身体や心は、なにに気づいたんだろう」ということをかみしめてもらって、それを定着させる時間になります。
この日は、さっそく、今回上演する脚本の、本読みに入りました。とある「クマさん」のお話しです。
次回の講義は、11月5日(水)。
ミニ発表会は、2009年1月21日(水)の午後です。
興味のある方は、どうぞ、お立ち寄り下さい
コメントを残す