セミナーの最後で討議された地域アートプロジェクトの課題について
印象的だったのは、画家の金井訓志さんの発言だ。
「今はまつりも、こどもみこしを作ったりしちゃう。まつりは本来、こわかったり、あぶなかったりするものだ」
「直島に行った時、ぼくは美術館よりも、直島のまちが楽しかった」

地域があてがわれたように「アートプロジェクト」を開催しても、一過性のイベントで終わることは目に見えている。かといって、紹介された作品をみて、bonmediaがわくわくしたように、個別のアートを鑑賞したり、制作や運営に関わった人がうけとった感動にウソは無い。アーティストが作品を通して、伝えようとしたメッセージも力強い。

極論すれば、地域アートプロジェクトによって、地域が活性化されなくても、それはアーティストの責任ではない。
ただし、「地域アートプロジェクト」というプロジェクトそのものには責任がある。公的なお金であっても、鑑賞者の入場料であっても、地域でなにがしかの成果をあげることを掲げて、プロジェクトが動くなら、プロジェクトには責任がある。
とはいえ、具体的にそれは、誰がどのようにしてとる責任なのか。そこがあいまいなまま次から次へとこういったプロジェクトが成立するのは、今の日本、そのものだという気がする。
もしかしたらそれは、誰が具体的に欲しているのか漠然としたまま、まちに文化施設が出現する・・・というのと似ていなくもないだろう。

bonmediaは思うのだ。かつてなら、それでもよかったのだろう。よくわからないところでお金がもうかり、よくわからないところで電気が生み出され、よくわからないまま生活が便利に豊かになってゆく。地域活性化という名のもとに、よくわからないまま文化施設ができ、よくわからないままアートプロジェクトが行われ、だけど、そこで生まれたメッセージや感動にはウソがないから、それでいいではないか。
かつてはそれでもよかったように思う。
しかし、3・11以降、もう国の姿そのものがわからない、言い換えれば、手ざわりのよくわからなくなってしまったこの国で、かつてのままではいかんのではないか。

地域になにがしかを還元すると掲げたなら、還元しなければならない。少なくとも、なにができて、なにができなかったかには、自覚的になる。みてみぬふりして、次にうつらないで、一度、その場で考えてみる、ということは避けてはならないように思う。

そして、その役割は、アーティストではなく、誰かほかの人が、その部分を担うべきなのではないか。地域アートプロジェクトというプロジェクトには、アートに軸足をおいたディレクターやプロデューサーはいるのだろうが、「地域」に軸足をおいたディレクターやプロデューサーが必要なのではないか。もしかしたら、その部分を漠然と友の会とかボランティアに負わせているのではないか。もっと自覚的で機動的な地域プロデューサーが必要なのではないか。

目の前で起こるさまざまなことごとを見聞きしながら、bonmediaは、そんなことを感じる。
国の形があいまいになっている今、「地域」を冠することごとには、大きな期待が寄せられ、その果たさなければいけない責任も大きくなっている。そして、「地域」はよそからやってくるわけではない。それは私とあなたにとって、空気であり、足元である。「地域」の責任は、私とあなたにかかってくるのだと思う。
住友氏セミナー、第3回は本日開催です。
8月6日(月)19:00~
場所:ミニギャラリー千代田 1F
『現代アートとダンス、演劇、音楽、そして地域』
※当日配布資料をご用意しますので、数の把握のためご参加の方はご連絡ください。
前橋市 文化国際課 芸術文化推進室
【TEL】 027-898-5879
【FAX】 027-221-5717